ほげったけど一歩前進

失敗を恐れず行動し、失敗から学び、昨日より一歩前進

ワークライフバランスという言葉には、ワークはライフを犠牲にしてもやむを得ないという世の中の雰囲気が象徴されている

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ブログタイトル、本書からの引用です。強烈に刺さりましたので。

ワークとライフをどうバランスさせるかをずっと考えて仕事してきたけど、視界が少し広がったような気がします。

「伊藤洋志 ナリワイをつくるー人生を盗まれない働き方」を読んで。

ワークライフバランスとナリワイ

筆者が働きはじめた三十年以上まえは、ワークライフバランスなどという言葉はなかったです。働きはじめて数年でバブル経済がやってきて、その頃には「24時間戦えますか」のコピーがはやり、ワークはライフとは対局にあるものという感覚が世の中にはあったし、筆者自身もずっとあります。

本書の骨子は「自分が楽しめて、他人の助けにもなる」身の回りのことを仕事として、食い扶持をひろげようというものです。そしてそれは人生を豊かにするためのいくつかある選択肢のひとつであると。

厳しい競争に勝つことや毎年の売上/利益成長必須の路線からは距離をおいて、自分も他人も幸せにする、いい意味でのゆるいビジネス=仕事=ナリワイで食べていくための考え方と、それをつくり出すための具体的な方策について書かれています。

ナリワイ十か条

著者はナリワイを「ナリワイ十か条」として、以下のように定義しています。

1,やると自分の生活が充実する
2,お客さんをサービスに依存させない
3,自力で考え、生活を作れる人を増やす
4,個人ではじめられる
5,家賃など固定費に追われないほうがよい
6,提供する人、される人が仲良くなれる
7,専業じゃないことで、専業より本質的なことができる
8,実感がもてる
9,頑張って売上を増やさない
10,自分自身が熱望するものをつくる

(p72より)

このうち、筆者には2,6あたりが目から鱗でした。どういうことかというと、例えば若いカップルが結婚披露宴を、いわゆる専業の業者でやろうとすると費用が高く、もっと費用を安くしたいとします。

じゃあ、知り合いで、司会のうまい人や料理の上手い人、音楽プロデュースや映像編集の得意な人たちが集まって、協力すれば、専業の業者に近いことはできるんじゃないかということです。

このとき大事なのは、お客さん側、つまり結婚披露宴をやりたいカップルも100%の完璧を求めるのではなく、一緒になって作ることで、本番のときに多少至らないことがあっても「手作り感」「参加感」で十分満足したものができるのではないかと。

もちろん提供する側も、例えば料理が得意で協力した人は、大勢の人に喜んでもらえて満足だし、みんな二人の門出に貢献できることは、それ自体が大きな満足感、やりがい感につながります。

専業の業者に依頼した場合には、こういった「一生の大事なイベント」では間違いがあってはいけないという緊張感と、時間どうりのスケジュールでこなさないといけないというハイスペックを実現するために、過剰で高価なサービスになってしまうわけです。

もちろん、提供する側もいくら得意・好きな人達が集まったからと言って、毎週やってたんでは大変でしょうから、こういうことを年に1〜2回程度、楽しみながらナリワイ=仕事として行なっていくという、ゆるい感じがいいんだと著者は主張しています。

つまり売上や利益の成長を追わずに楽しんで続けていくことが大切で、それが関係者を幸せにしていくのだと。

ナリワイを創りだす:ググッただけでは何も決められない

そしてこのみんなを幸せにするナリワイを創りだすためには、「情報」をどう扱うかについても非常に有益なことを書かれています。
筆者のブログのテーマである「まず行動してみる」ことにもつながる、「刺さった言葉」だったので、長文ですけど、引用します。筆者自身の行動の指標としても、今後も大切にしていきたいので。

 

現在社会では、情報がたくさん出てきていつでも手にはいる(ように思える)が、情報というのは、誰かが記録したものをさらに加工した二次情報と呼ばれているものがほとんどである。

二次情報は発信者の立場によって解釈が加わったり、自分にとっては肝心な部分が抜け落ちていたりする。もしかしたら改ざんされているかもしれない。

したがって、二次情報だけでは、いくら大量に集めても、「これは本当なのか」、「肯定的情報と否定的情報があるけどどっちが 本当なの?」という疑問が出てきて、なかなか決定打がないのである。

だが一度実物に触れてよく観察する体験を持てば、二次情報の中身が背景も含めて良くわかるようになってくる。

「あー、この人はこの点で失敗したから否定的な発言が多いんだな」、「この人は実際現場に行ってないからこういうことを言うのだな」など、情報発信者の背景が見えるようになってくる。

すると、どういうふうに参考にしたらいいか、参考にしなくていいかがつかめてくる。

なにより、自分自身で見たり体験したりした一次情報は、自分のなかで実感が持てるようになってくるので、行動の決断材料になる。

「友達がシャアハウスをやっているのをみたら、自分でもやれる気がしてきた」とか、そういうものである。

こう書くと、一個一個意識的に判断しているように思えるが、一次情報になるべく触れるようにしていると、勘も冴えてくるので、いちいち考えなくても動けるようになる。

 (p160-161)

行動しなければチャンスは見えてこない

会社勤めを長くしていると、ビジネスを創りだすということに対して、マーケットの大きさは?とか、競合は?とか、自社の強みは?とか考えてしまいますね。
社内の企画会議で承認得るにはそれらが必要なので、もうカラダに習慣になってしまってます。

しかし考えてみると、ビジネスの原点は、「欲しい人」に「提供できる人」がモノやサービスを提供することであり、最初は、近所や友人間でのお手伝いからはじまったもの。

受ける側は、完璧なサービスじゃなくちゃダメという人ばかりじゃないですよね。それを証拠に、収穫期だけとか、近所の農家の作業を手伝っていくらなんてのもあるわけです。

金額だけで選ばれるものは大企業にはかなわないけど、提供される側の体験そのものが価値となるものや、提供する側とされる側の共同作業で成り立つモノやサービスであるのなら、身のまわりにたくさんありそうです。

友人やご近所に提供して喜ばれたり、感謝されたりするするものからはじめてみる、そうやって実際に自分で経験をもつことで見えてくるんですね。

ワークとライフは対立しない

そう考えれば、ワークとライフは対立するものではなく、共存して、かつ幸せ度をより一層高くする人生というものも実現できそうです。

単に収入源を増やすという観点だけでなく、大げさに言えば、自分の人生のステージを広げる=場面を増やすという意味でも、ナリワイを作ることは、人生を豊かにするひつとの方法であると思います。

どこまで行動に移せるか、一次情報の発信者になるぞ!と決意を新たにしました。

 

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