ほげったけど一歩前進

失敗を恐れず行動し、失敗から学び、昨日より一歩前進

もっと早く知りたかった二つの認知症、それは幸せな認知症と不幸な認知症

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筆者の父は認知症だ。友人の母親も認知症。仕事仲間の父親も認知症。周りを見渡せば、認知症は、もう身近なものなのに、こんなこともしらなかった。自分の家族や友人知人が認知症になった時、この本に書かれていることを理解していれば、本人も家族も少し楽になるだろうな。

なぜこの本を手にとったか 

筆者の父親は7年位まえから認知症が始まった。当時は筆者自身や家族も認知症に対する理解十分でなく、父親に悲しい思いをさせてしまったと、認知症に対する理解が深まってから、随分悔やんだ記憶がある。
あの時、どうしていたら、よかったんだろうという思いが、いつも心のどこかにあり、本屋でタイトルが目にとまった。

著者の主張は

認知症は良くならない、本人への告知も必要ない
  1. 高齢者の認知症は、老化現象のひとつで、長寿になったことで、顕著に現れるようになった。昔は、認知症になる前に、寿命になった。
  2. 著者は長年、精神科の外来で認知症患者を診てきた。その経験の中で、事実として、認知症は治らない、薬を使っても良くならないと主張する。
  3. いわゆる「自分がわからなくなる」ような認知症は、認知症の最終的な症状で、最初は、物忘れの症状から始まり、徐々に、悪くなっていく。
  4. 発症してから、自分がわからなくなるまでは、発症して10年程度時間がある。
  5. そのため、若年性の認著症患者の場合を別として、治らないことを本人に告知するのは、希望を失うだけなので、本人に告知はしない。
  6. 代わりに家族や周囲の人々には告知し、十分理解してもらい、接し方を変えてもらう必要がある。
幸せか不幸せかは周り次第
  1. 認知症とはどういうものか、周りの人、つまり家族、友人、知人、介護職員などが正しく理解する。

  2.  忘れたことや出来ないことに対して「なぜ?」と責めたり、感情的になった本人に、同じように感情的に対応してはいけない。

  3. つまり「指摘しない」「議論しない」「怒らない」を徹底する。

確かに著者の主張は、父親介護を経験した今なら、納得して、受け入れることが出来る。しかし、実際に、周りの人々が、そのように行動するのは、はじめは簡単ではないだろう。
介護で疲れているとき、なかなか、自分の気持ちに余裕がなく、つい、強い言葉で、返してしまう。加えて、家族など関係が近い程、そのような反応になりがちではないか。たとえ頭ではわかっていても。

父親が認知症と診断された時、認知症について、何冊か本を読んだが、こういうことを書いている本には、巡りあわなかった。もし、当時、このようなことが理解出来ていたら、たとえ簡単ではないにしても、父親にもう少し優しく接することが出来、父親の言動に、家族があのように振り回されることが少なく出来かも知れない。父親も私たち家族も、もう少し楽な時間を過ごせたんじゃないかなと思う。

認知症に対する教育

予備軍を含めると、認知症患者数は800万人を超えているらしい。認知症患者の数がこれだけ増えると、国民全員が病気に対する正しい理解を持たないと、認知症患者の社会からの排斥運動とかが起きてしまうような気がする。認知症はその症状として、感情のコントロールが出来ず、暴言を吐いたり、怒ったりする場合があり、筆者の場合は、病気を正しく理解出来ていなかったので、父親と激しい口論となったことも何度かある。

今後は、筆者自身も何かのおりに、友人知人に、自分の経験やこの本で知ったことを話して、一人でも正しい理解をもった人を増やすようにしていきたい。