息子・娘の卒業、旅立ちに涙する50代前半のご同輩、今夜はこの歌で号泣しませう!
子供の成長は嬉しい。早くひとり立ち欲しいとずっと思ってました。
でも、子供の出て行ったあと、支えられていたのは自分の方だと気づきました。
3年前の春、子供が一人立ちし、家から出て一人暮らしを始めました。
引っ越しのその日、子供が出ていった部屋は掃除がされ、丁寧に片付けられていました。いままで見たこともないくらいに綺麗に。
以降、この卒業の時期になると、なぜか少しさみしくなります。今年の春休みも、バイトのためここには帰ってきませんし。
自分の親も、自分が家を出て一人暮らしを始めた頃はこんな気持ちだったのでしょう。その頃の歌を今聞くと、いろんな思いが浮かびます。
「信じられぬと嘆くとよりも、人を信じて傷つく方がいい」って、この歌を聴いた頃は、「うーん、そうだな」なんてと思ってました。
だけど、今日に至るまで、嘆いたこともあるし、傷ついたことも何度もあるので、その経験からすれば、どちらでも良いと思ってる。
どちらがいいとか言えるものじゃないんじゃないかな。
二十代で東京に住んでいた頃、「東京で見る雪はこれが最後だね」なんて言う会話を交わしたことがあります。ちょっと苦いけど、甘い思い出。
東京では3月に降る雪は、すぐ解けて、それで終わりという思い出だけど、ここ長野では、3月に降る雪はその日に溶けて、夜間の冷え込みで翌朝は道路を凍結させてしまう。そして交通渋滞や事故を発生させるので、あまり良い印象ではない。
荒井由実 + ハイファイセット - 卒業写真 - YouTube
「人ごみに流されて変わっていく私を、あなたはときどき、遠くでしかって」って、だれかに見守ってもらえると安心だね。これから踏み出す新しい世界は期待と同時に不安もいっぱいだから。
当時は「僕を叱って欲しい!」って思う人がいたけど、今じゃあ、叱ってくれる人がだれもいない筆者には、とても切ない歌詞。
「大人の階段上る、君はまだシンデレさ」って歌詞が好きです。でも自分は「大人の階段」をちゃんと上ったのだろうかと、今さらながら思ってます。
当時は「卒業以外になんの理由があるの?」と思っていたけれど、年を重ねた今では、「卒業以外の理由」が大きいんじゃないかと思います。「卒業」はただの言い訳だったんじゃねぇ?
「目の前にあった幸せにしがみついてしまった」って、みんなそうでしょう。でもその時にはそれが全てで、その先に、もっと大切なモノがあることは見えないんですよね。
歳を重ねると、同じ歌詞も味わいが全く違いますね。だけど、夫々の歌が流行っていた頃の思い出は、いつも少し感傷的な気持ちにさせます。